2009年 05月 17日
『三浦世津子 硝子展』 |
以前にも紹介した同級生でガラス作家の三浦世津子さんの個展が名古屋のギャラリー顕美子(けんびし)で始まりました。
『三浦世津子 硝子展』
5/16(土)〜 5/30(土)
「ギャラリー顕美子」 (GALLERY KENBISHI)
http://www2.odn.ne.jp/kenjitaki/kenbishi.html
名古屋市中区栄3-20-25 北九ビル1階
TEL 052-264-7741 FAX 052-264-7744
11:00am - 6:00 pm (日、祝休)
****************
■ガラスについて〜此岸(こちら岸)と彼岸(向こう岸)
1851年のロンドン万博で建設されたクリスタル・パレス(ガラスの温室のような建物)は今までの石造文化のヨーロッパに斬新さを持って、近代文明を象徴した建築物として有名ですが、その後ガラスは近現代を通じ、都市化する建築を象徴する素材となって行きました。
特に窓などにはめ込む透明(に近い)ガラスは、外と内、虚と実という二重のイメージを抱かせる事となるのですが、フランス革命以後ヨーロッパを席巻する市民革命=自意識の目覚めと時代的にもリンクして行くのは興味深いところです。
他方、現代においては”肥大化した自意識”が、それまで個人を成り立たせていた社会性をずたずたに切り離し、個人が不安定化するようになって、凶悪犯罪や経済至上主義の温床になっています。
そんな中、仏教には此岸(しがん:こちら岸)と彼岸(ひがん:向こう岸)と言う考え方があるのですが
此岸:欲や煩悩にまみれたこちら側の世界。
彼岸:煩悩から解放された向こう側、悟り、仏世界。
例えば、能の「夢幻能」のように、日本にはこの二つの世界が非常に近い所に意識されていましたし、様々なものに神が宿り、彼岸はいつも身の回りにあったはずでした。
しかし、「肥大化した自意識」の此岸の現代において、彼岸を感じる事こそが求められているのではないか。そして都市が脳の外部宇宙とするならば、此岸と彼岸を結ぶメタファーであるガラスを使う建築が増えて来たと言うのは、かなり判り易い世界観のように思えて来ます。その意味で、ガラスと言うのは極めて現代的な素材なのではないか。・・・そんな事を考えたりします。(←本題とはかなりズレたな‥笑)
****************
この「硝子展」の初日に居ると言うので出掛けてみたら、久しぶりに会う彼女は髪をかなり短くしてて、子供の頃の活発な(←これ便利な言い方やな〜ってゴメン!)イメージそのままの変わらない彼女が居ました。
工房で、研究と後進の指導をしながら作家活動をする彼女の作品はじつに多彩で、ガラスの歴史と多様性を作品として感じられるでしょう。
そんな彼女と話してたら、じつはもっと他にも関心があって、ガラスにとどまらないと言います。まあ、じつに彼女らしくて微笑ましかったし、あの独特の『たぷっとしたイメージ』がじつは”端正さの反動”という行は興味深い話でした。彼女の主客は反対だと思っていましたが、職人としても、作家としても頷ける話でした。
『真・行・草』の視点に立っても。その方が自然ですから。でも、以外と自覚しないアーティストは多いと感じています。
今月末までですので興味やお時間のある方は是非ご覧ください。
↓こんな所に…
■NHK「美の壷」File3 アールヌーヴォーのガラス
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20060421.html
『三浦世津子 硝子展』
5/16(土)〜 5/30(土)
「ギャラリー顕美子」 (GALLERY KENBISHI)
http://www2.odn.ne.jp/kenjitaki/kenbishi.html
名古屋市中区栄3-20-25 北九ビル1階
TEL 052-264-7741 FAX 052-264-7744
11:00am - 6:00 pm (日、祝休)
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■ガラスについて〜此岸(こちら岸)と彼岸(向こう岸)
1851年のロンドン万博で建設されたクリスタル・パレス(ガラスの温室のような建物)は今までの石造文化のヨーロッパに斬新さを持って、近代文明を象徴した建築物として有名ですが、その後ガラスは近現代を通じ、都市化する建築を象徴する素材となって行きました。
特に窓などにはめ込む透明(に近い)ガラスは、外と内、虚と実という二重のイメージを抱かせる事となるのですが、フランス革命以後ヨーロッパを席巻する市民革命=自意識の目覚めと時代的にもリンクして行くのは興味深いところです。
他方、現代においては”肥大化した自意識”が、それまで個人を成り立たせていた社会性をずたずたに切り離し、個人が不安定化するようになって、凶悪犯罪や経済至上主義の温床になっています。
そんな中、仏教には此岸(しがん:こちら岸)と彼岸(ひがん:向こう岸)と言う考え方があるのですが
此岸:欲や煩悩にまみれたこちら側の世界。
彼岸:煩悩から解放された向こう側、悟り、仏世界。
例えば、能の「夢幻能」のように、日本にはこの二つの世界が非常に近い所に意識されていましたし、様々なものに神が宿り、彼岸はいつも身の回りにあったはずでした。
しかし、「肥大化した自意識」の此岸の現代において、彼岸を感じる事こそが求められているのではないか。そして都市が脳の外部宇宙とするならば、此岸と彼岸を結ぶメタファーであるガラスを使う建築が増えて来たと言うのは、かなり判り易い世界観のように思えて来ます。その意味で、ガラスと言うのは極めて現代的な素材なのではないか。・・・そんな事を考えたりします。(←本題とはかなりズレたな‥笑)
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この「硝子展」の初日に居ると言うので出掛けてみたら、久しぶりに会う彼女は髪をかなり短くしてて、子供の頃の活発な(←これ便利な言い方やな〜ってゴメン!)イメージそのままの変わらない彼女が居ました。
工房で、研究と後進の指導をしながら作家活動をする彼女の作品はじつに多彩で、ガラスの歴史と多様性を作品として感じられるでしょう。
そんな彼女と話してたら、じつはもっと他にも関心があって、ガラスにとどまらないと言います。まあ、じつに彼女らしくて微笑ましかったし、あの独特の『たぷっとしたイメージ』がじつは”端正さの反動”という行は興味深い話でした。彼女の主客は反対だと思っていましたが、職人としても、作家としても頷ける話でした。
『真・行・草』の視点に立っても。その方が自然ですから。でも、以外と自覚しないアーティストは多いと感じています。
今月末までですので興味やお時間のある方は是非ご覧ください。
↓こんな所に…
■NHK「美の壷」File3 アールヌーヴォーのガラス
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20060421.html
by DEPTH-TRUCT
| 2009-05-17 23:12
| 雑 記