2009年 09月 08日
ヤノマミ族 |
先日の深夜のNHKスペシャルの再放送はかなり衝撃的でした。
「ヤノマミ〜奥アマゾン 原初の森に生きる」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.html
10年に及ぶ取材交渉により、彼等と同じ物を食べ、言葉を憶えながら150日間の取材をまさに命がけで敢行した映像は、重厚な音楽と語りで淡々と流れ、奥アマゾンに約1万年前から住むと言う彼等ヤノマミ族と我々の時間の歪みと繋がりを凝縮したような内容でした。
■ヤノマミ〜その生死感
「ヤノマミ、それは人間と言う意味だ。」
彼等は、自分たちを『人間』という。つまり「ヤノマミ族」とは『人間族』となり、じつに示唆に富む部族です。上空から見る彼等の部落は中国の客家円楼(はっかえんろう)の住居に似て、綺麗なひとつの円形住居に150人が共同で住んでいました。
偉大なシャーマン、シャボリ・バタは言う
「人間も死ねば天に昇り精霊となる。
地上の死は死ではない。魂は死なず精霊となる。
精霊もやがて死ぬ。
最後に男はハエやアリになって地上に戻る。
女は最後にノミやダニとなる。
地上で生き、天で生き、虫になって消える。
誰もが同じ定めを生きる。」
1万年も前からほぼ変わらない生活を送る彼等の世界観にも「天と地の世界」や「精霊」「転生」の壮大な物語があって、現代と遥か以前の世界観の共通点が見て取れます。
■二つの世界感
そんな“最後の石器人”と呼ばれているヤノマミ族も、150人と言う大所帯で暮らすためには、それなりに社会性を育んでいる訳で、だからこそ自らの部族の物語を欲したとすると、松岡正剛の言葉が頭をかすめていました。
「・・・人間が『遠いもの』や『先行するもの』を想定するようになったのは、ものすごい謎だと思っています。」
確かにそれぞれの部族や民族は、自らの出自に関する物語を持っています。それは「目に見える世界」に「見えない世界」から根拠を与えようとする試みのようにみえますが、なぜ人は「目に見える世界」だけで満足しようとしないのでしょうか。なぜ「目に見えない世界」を構築し必要とするのでしょうか・・・。
この「目に見えない世界」を構築する、意識する謎はかなり深遠な世界と直感していますが・・・そもそも「物語」とは何なのか?
「小説家(物語)は新しい場所に真実を生み出し、新しい光をあてることができる。たいていは、現実のままのかたちで真実を掴むことや正確に描写することは不可能です。」
村上春樹は今年2月のエルサレム賞受賞スピーチでこう述べましたが、ここに「物語」の意味が垣間見られると言います。
事実、この二つの世界は互いに影響し合いながら人間の世界観を構築してきたのは明らかです。つまり、かなり以前から人は二つの世界観あるいは、多様な世界観を生きてきたと言えるのではないか。そしてそれは何度も繰り返しているように『豊潤でしなやか』な持続可能な世界に共通する方法なわけで・・・。
ヤノマミ族の世界観から、人の深遠な世界に触れたという意味で、まさに「ヤノマミ(=人間)」は示唆に富む出会いだったと、ひとり悦にいるのであります。(笑)
「ヤノマミ〜奥アマゾン 原初の森に生きる」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.html
10年に及ぶ取材交渉により、彼等と同じ物を食べ、言葉を憶えながら150日間の取材をまさに命がけで敢行した映像は、重厚な音楽と語りで淡々と流れ、奥アマゾンに約1万年前から住むと言う彼等ヤノマミ族と我々の時間の歪みと繋がりを凝縮したような内容でした。
■ヤノマミ〜その生死感
「ヤノマミ、それは人間と言う意味だ。」
彼等は、自分たちを『人間』という。つまり「ヤノマミ族」とは『人間族』となり、じつに示唆に富む部族です。上空から見る彼等の部落は中国の客家円楼(はっかえんろう)の住居に似て、綺麗なひとつの円形住居に150人が共同で住んでいました。
偉大なシャーマン、シャボリ・バタは言う
「人間も死ねば天に昇り精霊となる。
地上の死は死ではない。魂は死なず精霊となる。
精霊もやがて死ぬ。
最後に男はハエやアリになって地上に戻る。
女は最後にノミやダニとなる。
地上で生き、天で生き、虫になって消える。
誰もが同じ定めを生きる。」
1万年も前からほぼ変わらない生活を送る彼等の世界観にも「天と地の世界」や「精霊」「転生」の壮大な物語があって、現代と遥か以前の世界観の共通点が見て取れます。
■二つの世界感
そんな“最後の石器人”と呼ばれているヤノマミ族も、150人と言う大所帯で暮らすためには、それなりに社会性を育んでいる訳で、だからこそ自らの部族の物語を欲したとすると、松岡正剛の言葉が頭をかすめていました。
「・・・人間が『遠いもの』や『先行するもの』を想定するようになったのは、ものすごい謎だと思っています。」
確かにそれぞれの部族や民族は、自らの出自に関する物語を持っています。それは「目に見える世界」に「見えない世界」から根拠を与えようとする試みのようにみえますが、なぜ人は「目に見える世界」だけで満足しようとしないのでしょうか。なぜ「目に見えない世界」を構築し必要とするのでしょうか・・・。
この「目に見えない世界」を構築する、意識する謎はかなり深遠な世界と直感していますが・・・そもそも「物語」とは何なのか?
「小説家(物語)は新しい場所に真実を生み出し、新しい光をあてることができる。たいていは、現実のままのかたちで真実を掴むことや正確に描写することは不可能です。」
村上春樹は今年2月のエルサレム賞受賞スピーチでこう述べましたが、ここに「物語」の意味が垣間見られると言います。
事実、この二つの世界は互いに影響し合いながら人間の世界観を構築してきたのは明らかです。つまり、かなり以前から人は二つの世界観あるいは、多様な世界観を生きてきたと言えるのではないか。そしてそれは何度も繰り返しているように『豊潤でしなやか』な持続可能な世界に共通する方法なわけで・・・。
ヤノマミ族の世界観から、人の深遠な世界に触れたという意味で、まさに「ヤノマミ(=人間)」は示唆に富む出会いだったと、ひとり悦にいるのであります。(笑)
by DEPTH-TRUCT
| 2009-09-08 02:04
| 雑 記