2016年 12月 23日
慈しむ姿 |
生まれる前の子供達は、何かテレビのようなものに写る”母を選んで生まれてくる”そうです。そして、その全ての子供達の生まれて来る理由が『自分が選んだ母を幸せにする』ことを目的とするそうです。
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今週の月曜日(12/19)の夜、母の施設から危篤の連絡がありました。着いた頃にはすでに息はなく、父と同じように一人で旅立って行きました。前日もその前も意識があり、手足は動かないものの、いつもと変わらない母でしたので、あまりに急な展開に驚かされましたが、穏やかなその顔を見て安心も致しました。
じつは母が亡くなる前の数日、折々にフと思い出すとても懐かしい光景がありました。
それはまだ私が小学生の頃、近所の会社で働いていた母が、夕方の5時を過ぎ、帰りに近くのお店で肉まんを買ってきて、家に居る私と一緒に食べている光景でしたが、その光景ばかりが何度も何度も脳裏に浮かんでくるのでした。
今思えば、それはとても幸せな時間で、母も同じ光景をきっと思い出していたのかもしれません。
よく働く母でした。母の父(私のおじいさん)がフィリピンで大きな麻農園をしていた頃は、小学校に車で送り迎えされるお嬢様でしたが、戦争で全てを失い、自分の父をなくし、その後はとても苦労した母でした。
自分の弟や妹の学費等の面倒を見、大好きな夫のために、せっせと好物のおまんじゅうを作り、親や親戚、廻りの人達にも慈しみを忘れない人でした。その”慈しむ姿”は、今の私の財産でもあります。
その母を私は幸せに出来たかと言われれば、親不孝を絵に描いたような息子なので、ただただ許しを請うばかりです。もし、本当に私が母を選んで生まれて来たのなら、私は本当に幸せでした。
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最後に、両親共に誰にも看取られず一人で旅たったことは、死と言うものが個人のものであるから、『一人で逝く覚悟をしておけ』、そう思って日々を"明かき清き直き心"を持って生きよと言われているようでした。
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今週の月曜日(12/19)の夜、母の施設から危篤の連絡がありました。着いた頃にはすでに息はなく、父と同じように一人で旅立って行きました。前日もその前も意識があり、手足は動かないものの、いつもと変わらない母でしたので、あまりに急な展開に驚かされましたが、穏やかなその顔を見て安心も致しました。
じつは母が亡くなる前の数日、折々にフと思い出すとても懐かしい光景がありました。
それはまだ私が小学生の頃、近所の会社で働いていた母が、夕方の5時を過ぎ、帰りに近くのお店で肉まんを買ってきて、家に居る私と一緒に食べている光景でしたが、その光景ばかりが何度も何度も脳裏に浮かんでくるのでした。
今思えば、それはとても幸せな時間で、母も同じ光景をきっと思い出していたのかもしれません。
よく働く母でした。母の父(私のおじいさん)がフィリピンで大きな麻農園をしていた頃は、小学校に車で送り迎えされるお嬢様でしたが、戦争で全てを失い、自分の父をなくし、その後はとても苦労した母でした。
自分の弟や妹の学費等の面倒を見、大好きな夫のために、せっせと好物のおまんじゅうを作り、親や親戚、廻りの人達にも慈しみを忘れない人でした。その”慈しむ姿”は、今の私の財産でもあります。
その母を私は幸せに出来たかと言われれば、親不孝を絵に描いたような息子なので、ただただ許しを請うばかりです。もし、本当に私が母を選んで生まれて来たのなら、私は本当に幸せでした。
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最後に、両親共に誰にも看取られず一人で旅たったことは、死と言うものが個人のものであるから、『一人で逝く覚悟をしておけ』、そう思って日々を"明かき清き直き心"を持って生きよと言われているようでした。
by DEPTH-TRUCT
| 2016-12-23 00:00