2017年 08月 25日
人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」雑記 |
三重県立美術館で開催中の『開館35周年記念 テオ・ヤンセン展』を観てきました。
「ストランドビースト」はテオ・ヤンセンが創造した人工生命体。彼は自身の死後も、このストランドビースト達が”生き続ける”事を夢想すると言う。
■二つの世界感 http://depthtruct.exblog.jp/12288713/
以前の記事で示したように、人は現実の世界”目に見える世界”以外に、もう一つの自分たちの出自の物語や神と言った”目に見えない世界”を構築してきました。それはリアルな世界を補完するのに必要だった。つまり”己以外の外部”が必要だったと言えます。例えば、五感に何の刺激も与えない空間では人は発狂して壊れてしまいます。
つまり、外部があって初めて私達は存在しうると言っても過言ではないと思うのです。
テオ・ヤンセンの創造した人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」達も、彼にとっても、我々にとっても”外部「”である事は間違いがありません。
■不気味の谷
〜機械仕掛けと人間くささより http://depthtruct.exblog.jp/13709963/
ロボット工学者の森政弘が1970年に提唱した「不気味の谷」は、
”「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感を持てない”
とした。科学者の中には根拠がないとして強く批判する向きもあるが、なるほどと頷けるヵ所もある。実際、動物のぬいぐるみや、今の”ゆるきゃラブーム”などは、それで説明がつきやすい。
つまり”ぎこちないもの”や”遠いもの”に自身を投影する『隙(愛情を投影する場)』を見つけやすいのかもしれません。
テオ・ヤンセンの創造した人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」達も、”ぎこちないもの”や”遠いもの”である事は間違いがありません。
■余白〜神 より一部転載 http://depthtruct.exblog.jp/5720713/
日本は大陸から文化(コード)を入れながらも、日本独自の様式(モード)に編集し直す事で、必要なものを際立たせながら”他を削ぎ落す”編集を繰返してきました。
しかし削ぎ落したはずの「余白」は何もないゼロ=0ではなくて、実はそこにも”対になる大切なもの”があるとしました。
「劣化させることで感覚に訴えるが、
そのためには完成度が高くなければならない。」
(松岡正剛)
それはまさに”外部”の影響と関係を如実に表しているように感じます。
そしてその”外部”の存在は次第に認知され、その一部が神格化されて『神』が”疑いの無いものとして我々のひとつの部分”として必要とされた・・・。それはちょうど犬から見た人間のように。
「人間が神を想定するようになったのは、
犬が人間を神のようにみなしていることに近い現象だ」
アリスター・ハーディ著『神の生物学』より
-----------------
テオ・ヤンセンの創造した人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」達も、”ぎこちないもの”や”遠いもの”として劣化を良しとしたが、『神』のように基本パーツ(DNA)で全てを作るなど、驚く程完成度が高く、ひとつの完成した別の世界を作っていた。
■存在感
そして、何より感じるのが作品の持つ”存在感”です。それは圧倒的な”力”ではなく”時間”。我々生物が生まれる遥か以前より存在したのではないかという”蕩々(とうとう)とした時間=存在感”。
それはその形が我々のすぐ側に普通にあるのに普段は見えなくて、こうして目の前にすると、いままで我々人間を、地球を、見守り続けてきたのではないかという存在感をこの作品には感じました。
そう言えば、以前 同じく三重県の美術館で観た”清水九兵衛”氏の作品にも、同じ存在感じたのを思い出していました。
=====================
じつに示唆に富む素晴らしい作品であり、今回の企画でした。
建築士である私も創造するヒラメキはもちろんありますし、大切ですが、それは”アイディア”のようなもの。じつはその”アイディア”を存在感あるもの、できれば”蕩々(とうとう)とした時間=存在感”を纏うまで持っていく、煮詰めて解放する事が大切だと、あらためて確信させられたのでした。
「ストランドビースト」はテオ・ヤンセンが創造した人工生命体。彼は自身の死後も、このストランドビースト達が”生き続ける”事を夢想すると言う。
■二つの世界感 http://depthtruct.exblog.jp/12288713/
以前の記事で示したように、人は現実の世界”目に見える世界”以外に、もう一つの自分たちの出自の物語や神と言った”目に見えない世界”を構築してきました。それはリアルな世界を補完するのに必要だった。つまり”己以外の外部”が必要だったと言えます。例えば、五感に何の刺激も与えない空間では人は発狂して壊れてしまいます。
つまり、外部があって初めて私達は存在しうると言っても過言ではないと思うのです。
テオ・ヤンセンの創造した人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」達も、彼にとっても、我々にとっても”外部「”である事は間違いがありません。
■不気味の谷
〜機械仕掛けと人間くささより http://depthtruct.exblog.jp/13709963/
ロボット工学者の森政弘が1970年に提唱した「不気味の谷」は、
”「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感を持てない”
とした。科学者の中には根拠がないとして強く批判する向きもあるが、なるほどと頷けるヵ所もある。実際、動物のぬいぐるみや、今の”ゆるきゃラブーム”などは、それで説明がつきやすい。
つまり”ぎこちないもの”や”遠いもの”に自身を投影する『隙(愛情を投影する場)』を見つけやすいのかもしれません。
テオ・ヤンセンの創造した人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」達も、”ぎこちないもの”や”遠いもの”である事は間違いがありません。
■余白〜神 より一部転載 http://depthtruct.exblog.jp/5720713/
日本は大陸から文化(コード)を入れながらも、日本独自の様式(モード)に編集し直す事で、必要なものを際立たせながら”他を削ぎ落す”編集を繰返してきました。
しかし削ぎ落したはずの「余白」は何もないゼロ=0ではなくて、実はそこにも”対になる大切なもの”があるとしました。
「劣化させることで感覚に訴えるが、
そのためには完成度が高くなければならない。」
(松岡正剛)
それはまさに”外部”の影響と関係を如実に表しているように感じます。
そしてその”外部”の存在は次第に認知され、その一部が神格化されて『神』が”疑いの無いものとして我々のひとつの部分”として必要とされた・・・。それはちょうど犬から見た人間のように。
「人間が神を想定するようになったのは、
犬が人間を神のようにみなしていることに近い現象だ」
アリスター・ハーディ著『神の生物学』より
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テオ・ヤンセンの創造した人工生命体「ストランドビースト(砂浜動物)」達も、”ぎこちないもの”や”遠いもの”として劣化を良しとしたが、『神』のように基本パーツ(DNA)で全てを作るなど、驚く程完成度が高く、ひとつの完成した別の世界を作っていた。
■存在感
そして、何より感じるのが作品の持つ”存在感”です。それは圧倒的な”力”ではなく”時間”。我々生物が生まれる遥か以前より存在したのではないかという”蕩々(とうとう)とした時間=存在感”。
それはその形が我々のすぐ側に普通にあるのに普段は見えなくて、こうして目の前にすると、いままで我々人間を、地球を、見守り続けてきたのではないかという存在感をこの作品には感じました。
そう言えば、以前 同じく三重県の美術館で観た”清水九兵衛”氏の作品にも、同じ存在感じたのを思い出していました。
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じつに示唆に富む素晴らしい作品であり、今回の企画でした。
建築士である私も創造するヒラメキはもちろんありますし、大切ですが、それは”アイディア”のようなもの。じつはその”アイディア”を存在感あるもの、できれば”蕩々(とうとう)とした時間=存在感”を纏うまで持っていく、煮詰めて解放する事が大切だと、あらためて確信させられたのでした。
by DEPTH-TRUCT
| 2017-08-25 22:23
| アート&文化