2007年 01月 30日
ジャズ喫茶の想い出 |
ジャズ喫茶の想い出
日本最古のジャズ喫茶といわれる横浜・野毛の「ちぐさ」が、今月末で73年の歴史に幕を閉じるそうです。
こういう歴史あるものが残らないのは、とても寂しいですね。1933(昭和八)年から日本のジャズを見つめ続け、昨年、米ジャズ界最高の賞とされるジャズマスターズ賞を受賞したピアニストの秋吉敏子さんは「そのフレーズをもう一ぺん」と何度も同じところに針を置かせて、熱心にジャズを勉強していたそうです。
私も大学生の頃、金山(名古屋市中区)にあった「Aトレイン」(確か当時、名古屋でもっとも多くのレコードを持っていたと記憶しています。)に通い、もちろんお金がないくせに、長い時はコーヒー一杯で6時間ぐらい聞き続けたものです。その間、マスターは文句も言わずにいてくれました。・・・そう言えば、終電もなくなって、3〜4時間掛けて歩いて家まで帰った事も何度かありました。
そんなお店も社会人になってしばらくしてなくなってしまいましたが、今回の記事を見て、そんな事を思い出してしまいました。
あの時のカウンターの隅で聴いたジャズのある風景は、今も心地のいい風景として、私の青春の一ページなのです。
日本最古のジャズ喫茶といわれる横浜・野毛の「ちぐさ」が、今月末で73年の歴史に幕を閉じるそうです。
こういう歴史あるものが残らないのは、とても寂しいですね。1933(昭和八)年から日本のジャズを見つめ続け、昨年、米ジャズ界最高の賞とされるジャズマスターズ賞を受賞したピアニストの秋吉敏子さんは「そのフレーズをもう一ぺん」と何度も同じところに針を置かせて、熱心にジャズを勉強していたそうです。
私も大学生の頃、金山(名古屋市中区)にあった「Aトレイン」(確か当時、名古屋でもっとも多くのレコードを持っていたと記憶しています。)に通い、もちろんお金がないくせに、長い時はコーヒー一杯で6時間ぐらい聞き続けたものです。その間、マスターは文句も言わずにいてくれました。・・・そう言えば、終電もなくなって、3〜4時間掛けて歩いて家まで帰った事も何度かありました。
そんなお店も社会人になってしばらくしてなくなってしまいましたが、今回の記事を見て、そんな事を思い出してしまいました。
あの時のカウンターの隅で聴いたジャズのある風景は、今も心地のいい風景として、私の青春の一ページなのです。
by DEPTH-TRUCT
| 2007-01-30 12:44
| 雑 記