2008年 06月 05日
帰省の旅〜ここにしかない場所 |
■旅路〜お待たせ!
田舎へ向かう途中、「まだか〜?」と電話が入る。国道218号線に出てからはひたすら熊本方面をひた走り、部落の入り口にある「霊台橋」を右折して、やっと田舎に着き、真っ暗な細い道を恐る恐る進むと、従兄弟が手を振って待っていてくれた。
家に入ると、叔母や従姉妹とその娘、そして母方の叔父夫婦も熊本市内からわざわざ来てくれていた。皆私が着くのを食事もせずに待ってくれてて、申し訳ないと思いつつ大歓迎を受けた。
35年前に比べると、内部は随分改装されてて、農家特有の”作業土間”は跡形もなく八畳ほどの食堂に変わり、そこに中国料理店で見かけるテーブル、そう、おかずが中央で廻るテーブルが手作りされてて驚いたが、実際大家族には理に適った家具なんだと、今さらながらに気付かされると言うオマケも着いた。(笑)
これだけ盛り上がりながら、久しぶりにビールなど戴いたこともあってか11時頃にはしっかり倒れてしまった。(笑)
■旅路〜35年ぶり
翌朝は6時に目覚め、35年ぶりの田舎は昔と同じように山々に囲まれ、深い緑に映え、散歩に出れば、玉のような朝露をたっぷりと抱えて道端や畦の草がキラキラと朝日に輝いて眩しいほど・・・。
散歩がてら、私が2歳まで過ごした家を見ようとその場所に向かうと、すでに跡形もなく、その後に植えられた大きな杉の木がそっと迎えてくれ、木漏れ日の中、35年と言う月日の流れを感じさせていた。
すれ違う部落の人たちに、一緒に散歩に出た叔母が私を紹介すると、皆 腰より下で手のひらを下に向けて同じようなリアクションをする・・・。
「そぎゃんね〜、こぎゃん こまか かったもんね〜。」(笑)
(そう〜、こんなに小さかったからね〜。)
両親共に同じ部落出身なので、古い人たちは皆、私の事を憶えている。聞けば、母方の祖母が毎日 私を背負って部落を歩きながら子守りをしていたらしい。・・・そうなんだ。
自分が居ない所で、自分の存在を憶えていてくれる人々がいる。・・・笑顔で迎えてくれる安心感は何ものにも変え難い。
故郷は、ただただありがたいもの・・・と、あらためて素直に思わされる。
■旅路〜村の生活
田舎の朝は早い。従兄弟は私が起きるより早く部落の集まりがあると出掛け、その息子も消防団の集まりがあると出かける。・・・今日は日曜日だ・・・。
散策で出会った人々も皆 逢うのは畑仕事の合間。母の叔母など腰が曲がって、地に頭が着くんじゃないかと思うほどにも関わらず、畦道を大きな袋を後ろで引きづりながら作業をしている。
「労働」という言葉は、ここにはないのかもしれない。
そこには現代的な「労働」という言葉では言い表せない、生活に根ざした『営み』が連綿と続いて来たという”証”だけが、有無を言わせないものとして感じられた。
我が身を振り返り、恥じ入るばかり・・・。
■旅路〜お墓参り
朝食を済ませ、今回の目的であるお墓参りへ。
昨日買った供花を供え、”姉の五十回忌”と”叔父の三回忌”に私だけ来られなかったので、お許しを乞うように手を合わせる。すぐ横に母方のお墓もあり、同じように供花を供え、手をあわせた。
9年前に山の共同墓地から、陽の当たる場所に移動させ、立派なお墓の中には、叔父や姉の遺骨と共に、ブラジルに渡った叔母なども、その遺骨の代わりに写真だけが納められていた。
手をあわせながら、「よく来たな。」と言われた気がした・・・。
■旅路〜出立
そして、一通り叔母と共にお土産を近所や他の親戚などに配り、部落のお宮にも挨拶した後、昼前には名残りを惜しみつつ、またの帰省を約束して出立。
35年ぶりの故郷は、やはり”ここにしかない場所”だった。
・・・つづく。
田舎へ向かう途中、「まだか〜?」と電話が入る。国道218号線に出てからはひたすら熊本方面をひた走り、部落の入り口にある「霊台橋」を右折して、やっと田舎に着き、真っ暗な細い道を恐る恐る進むと、従兄弟が手を振って待っていてくれた。
家に入ると、叔母や従姉妹とその娘、そして母方の叔父夫婦も熊本市内からわざわざ来てくれていた。皆私が着くのを食事もせずに待ってくれてて、申し訳ないと思いつつ大歓迎を受けた。
35年前に比べると、内部は随分改装されてて、農家特有の”作業土間”は跡形もなく八畳ほどの食堂に変わり、そこに中国料理店で見かけるテーブル、そう、おかずが中央で廻るテーブルが手作りされてて驚いたが、実際大家族には理に適った家具なんだと、今さらながらに気付かされると言うオマケも着いた。(笑)
これだけ盛り上がりながら、久しぶりにビールなど戴いたこともあってか11時頃にはしっかり倒れてしまった。(笑)
■旅路〜35年ぶり
翌朝は6時に目覚め、35年ぶりの田舎は昔と同じように山々に囲まれ、深い緑に映え、散歩に出れば、玉のような朝露をたっぷりと抱えて道端や畦の草がキラキラと朝日に輝いて眩しいほど・・・。
散歩がてら、私が2歳まで過ごした家を見ようとその場所に向かうと、すでに跡形もなく、その後に植えられた大きな杉の木がそっと迎えてくれ、木漏れ日の中、35年と言う月日の流れを感じさせていた。
すれ違う部落の人たちに、一緒に散歩に出た叔母が私を紹介すると、皆 腰より下で手のひらを下に向けて同じようなリアクションをする・・・。
「そぎゃんね〜、こぎゃん こまか かったもんね〜。」(笑)
(そう〜、こんなに小さかったからね〜。)
両親共に同じ部落出身なので、古い人たちは皆、私の事を憶えている。聞けば、母方の祖母が毎日 私を背負って部落を歩きながら子守りをしていたらしい。・・・そうなんだ。
自分が居ない所で、自分の存在を憶えていてくれる人々がいる。・・・笑顔で迎えてくれる安心感は何ものにも変え難い。
故郷は、ただただありがたいもの・・・と、あらためて素直に思わされる。
■旅路〜村の生活
田舎の朝は早い。従兄弟は私が起きるより早く部落の集まりがあると出掛け、その息子も消防団の集まりがあると出かける。・・・今日は日曜日だ・・・。
散策で出会った人々も皆 逢うのは畑仕事の合間。母の叔母など腰が曲がって、地に頭が着くんじゃないかと思うほどにも関わらず、畦道を大きな袋を後ろで引きづりながら作業をしている。
「労働」という言葉は、ここにはないのかもしれない。
そこには現代的な「労働」という言葉では言い表せない、生活に根ざした『営み』が連綿と続いて来たという”証”だけが、有無を言わせないものとして感じられた。
我が身を振り返り、恥じ入るばかり・・・。
■旅路〜お墓参り
朝食を済ませ、今回の目的であるお墓参りへ。
昨日買った供花を供え、”姉の五十回忌”と”叔父の三回忌”に私だけ来られなかったので、お許しを乞うように手を合わせる。すぐ横に母方のお墓もあり、同じように供花を供え、手をあわせた。
9年前に山の共同墓地から、陽の当たる場所に移動させ、立派なお墓の中には、叔父や姉の遺骨と共に、ブラジルに渡った叔母なども、その遺骨の代わりに写真だけが納められていた。
手をあわせながら、「よく来たな。」と言われた気がした・・・。
■旅路〜出立
そして、一通り叔母と共にお土産を近所や他の親戚などに配り、部落のお宮にも挨拶した後、昼前には名残りを惜しみつつ、またの帰省を約束して出立。
35年ぶりの故郷は、やはり”ここにしかない場所”だった。
・・・つづく。
by DEPTH-TRUCT
| 2008-06-05 23:25
| 雑 記