2008年 12月 24日
トップの一言 |
各報道では連日、雇用の調整弁であることを見せつけるかのように「派遣切り」が取り立たされて、今回の経済危機の深刻さを露呈していますが、私としては以前から毎年行なわれる「株主総会」を見るにつけ、気になっていた疑問があります。
そもそも労働者も株主も会社からすれば本来同じ立場のはずなのに、この違いは何なのだろうと・・・。
株 主:お金を出す代わりに配当を貰う(相当額)
労働者:労働の代わりに給与を貰う(相当額)
■トップの一言
「雇用を優先して損失を出すことが、私に期待されていることではない」
ソニーの中鉢良治社長は16日、朝日新聞のインタビューにこう答えていましたが、果たしてそうなのでしょうか。
むしろ、大きな会社には社会的責任も相応に大きくなると考えるのが妥当であり、その意味で、「雇用」は大きなウェイトであるはず。にも関わらず、今回のニュースを見る限り、ラインの停止や休業などの生産調整に先んじて「派遣切り」が行なわれたことは『労働力軽視』と言われても仕方がないのではないか‥。
先のソニーの中鉢良治社長の発言は単に「派遣」のみならず、「労働者」すべてに向けられ、社会不安を煽る形になるかもしれない。
■富の本質
富とは経済的豊かさであることは周知のこと。人々は自由経済を謳歌して我先に富=豊かさの恩恵を得ようとする。それは丁度、日本や中国の今を見るように利己的なベクトルを加速させやすいようです。
その結果、顕著に現れたのが「人為的食品汚染」です。最早、中国のアッパークラスは中国食品を買わないという社会不安を生み、『食の崩壊』がじわりと社会を締め付けようとしています。
日本では、派遣と言う潜在的雇用不安を抱えた政策を緩和することで、社会不安を広げる結果になってしまいました。不安は不信を生みやすく、安易な犯罪の温床になるかもしれません。
今回の経済危機で観えたものは。富=豊かさとは、単に経済的豊かさのみを示すものではないと言うこと。共栄こそが富であり豊かさであり富の本質と、そろそろ気付く頃なのかもしれません。
■富の行方
先の株主と労働者の関係にある不公平感は、そのシステムに問題があるのは自明で、そう言うシステムを富める者が作り上げたと言うのが本来でしょう。
しかし、そのシステムによって富は集中し、結果、不安と不信がそれぞれの内=心と外=社会に急速に広がって、経済的にも生活的にも暮らしにくい環境を作っています。
本来、洋の東西を問わず、体と時間を使う労働こそがもっとも尊ばれる文化が連綿と在ったはずで、そこには緩やかな『富の分配』や「人としての尊厳」という富も在ったことでしょう。
いずれ生産はロボットが、販売はネットでと言う時代が来た時に、『労働の本質』が問われるのかもしれませんが、共栄できなければ『富』もピークを越えて衰退するしかないはずです。
その意味で、早急に潜在的雇用不安は政財界による対応が、労働と富の概念は文化によるシフトが必要になってくると思うのですが….
そもそも労働者も株主も会社からすれば本来同じ立場のはずなのに、この違いは何なのだろうと・・・。
株 主:お金を出す代わりに配当を貰う(相当額)
労働者:労働の代わりに給与を貰う(相当額)
■トップの一言
「雇用を優先して損失を出すことが、私に期待されていることではない」
ソニーの中鉢良治社長は16日、朝日新聞のインタビューにこう答えていましたが、果たしてそうなのでしょうか。
むしろ、大きな会社には社会的責任も相応に大きくなると考えるのが妥当であり、その意味で、「雇用」は大きなウェイトであるはず。にも関わらず、今回のニュースを見る限り、ラインの停止や休業などの生産調整に先んじて「派遣切り」が行なわれたことは『労働力軽視』と言われても仕方がないのではないか‥。
先のソニーの中鉢良治社長の発言は単に「派遣」のみならず、「労働者」すべてに向けられ、社会不安を煽る形になるかもしれない。
■富の本質
富とは経済的豊かさであることは周知のこと。人々は自由経済を謳歌して我先に富=豊かさの恩恵を得ようとする。それは丁度、日本や中国の今を見るように利己的なベクトルを加速させやすいようです。
その結果、顕著に現れたのが「人為的食品汚染」です。最早、中国のアッパークラスは中国食品を買わないという社会不安を生み、『食の崩壊』がじわりと社会を締め付けようとしています。
日本では、派遣と言う潜在的雇用不安を抱えた政策を緩和することで、社会不安を広げる結果になってしまいました。不安は不信を生みやすく、安易な犯罪の温床になるかもしれません。
今回の経済危機で観えたものは。富=豊かさとは、単に経済的豊かさのみを示すものではないと言うこと。共栄こそが富であり豊かさであり富の本質と、そろそろ気付く頃なのかもしれません。
■富の行方
先の株主と労働者の関係にある不公平感は、そのシステムに問題があるのは自明で、そう言うシステムを富める者が作り上げたと言うのが本来でしょう。
しかし、そのシステムによって富は集中し、結果、不安と不信がそれぞれの内=心と外=社会に急速に広がって、経済的にも生活的にも暮らしにくい環境を作っています。
本来、洋の東西を問わず、体と時間を使う労働こそがもっとも尊ばれる文化が連綿と在ったはずで、そこには緩やかな『富の分配』や「人としての尊厳」という富も在ったことでしょう。
いずれ生産はロボットが、販売はネットでと言う時代が来た時に、『労働の本質』が問われるのかもしれませんが、共栄できなければ『富』もピークを越えて衰退するしかないはずです。
その意味で、早急に潜在的雇用不安は政財界による対応が、労働と富の概念は文化によるシフトが必要になってくると思うのですが….
by DEPTH-TRUCT
| 2008-12-24 21:55
| 雑 記