2009年 05月 13日
やる気のある者は去れ~断念と限界の自覚 |
『やる気のある者は去れ!!!』
これはタモリの名言で、今年の「ほぼ日」の正月企画でも、糸井さん相手に同じような意味合いとして『惜しい』と言うキーワードを挙げていましたが、タモリいわく・・・
「やる気のある人は、「頑張ります」って真正面しか見ていない。
でもじつは、正解や面白いモノってその横にある。」と言います。
このタモリの言葉と以下のの言葉が、最近私の中でシンクロするのです。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
これは親鸞の師・法然の言葉。善人でさえ往生できるのだから、悪人は言うに及ばないと言う意味で、まあ、まともに読むと?マークが浮かびそうですが、つまり悪人は善人よりも人間の弱さを心底自覚しているからこそ、”弥陀にすがるしかない身”なんだと目覚め(他力)、正しくその教えや救い(本願)を受けられると言うのです。
■ 香ばしい失望
タモリの言葉も、法然上人の言葉もそのまま取ると違和感を憶えたり、考え込んでしまいますが、先のタモリの言葉にインスパイアされて、リリーフランキーも「前向きという事が正しい事だと誰も疑っていないけれど、それはどうなのかと・・・」と言います。
今の世は常にポジティブ思考による「成長」を是とし、それ以外のネガティブとされる「負ける」「あきらめる」「断念する」「引きずる」「暗さ」「わかりにくさ」などは良しとされず、存在さえ時に忌み嫌われたりしますが、果たしてそうなのか。
「断念する事でかえって自由になれる、前に行ける事がある。」
松岡正剛との対談で茂木健一郎は普遍性をめぐる考察の中でそう言いいます。松岡はアインシュタインもハイゼンベルクも、ディラックもみんな制限、限界と言うものを感じていて断念しているといい、「本当にいい仕事と言うのは断念から始まっていますよ。」という。
■ 断念と限界
西洋を規範とする論理構造のひとつがコンピューター的2進法。この二者択一な世界は、かえって問題の本質を遠ざける事は田原総一朗を例に挙げるまでもない。しかも、その選択された方は常にまっすぐ直線的に伸びているイメージを強いてくる。
人類は自然や生命など片方で「多様性」に目覚め、その豊潤でしなやかな世界に魅了されながら、なぜ人間だけはその対極としてのフラット化へ進むのか。その結果、世界の緊張は以前にも増しており、硬直した世界は自滅へと進みやすいのに…。
必要なのは『断念』と『限界の自覚』であって、いずれ人間が断念し限界を自覚した時に、光明が観えてくるのかもしれないと思えるのです。
かつて、笑福亭鶴瓶はタモリに「なんで人の笑いを邪魔するのか」と尋ねたことがあるらしい。これに対し、「お前やさんまは笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると帯番組はマンネリになる。だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう。それがマンネリ解消になる」と答えたという。
やっぱり、『断念』と『限界の自覚』が多様性を生み、豊潤でしなやかさ(長寿)を育むんですね。
これはタモリの名言で、今年の「ほぼ日」の正月企画でも、糸井さん相手に同じような意味合いとして『惜しい』と言うキーワードを挙げていましたが、タモリいわく・・・
「やる気のある人は、「頑張ります」って真正面しか見ていない。
でもじつは、正解や面白いモノってその横にある。」と言います。
このタモリの言葉と以下のの言葉が、最近私の中でシンクロするのです。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
これは親鸞の師・法然の言葉。善人でさえ往生できるのだから、悪人は言うに及ばないと言う意味で、まあ、まともに読むと?マークが浮かびそうですが、つまり悪人は善人よりも人間の弱さを心底自覚しているからこそ、”弥陀にすがるしかない身”なんだと目覚め(他力)、正しくその教えや救い(本願)を受けられると言うのです。
■ 香ばしい失望
タモリの言葉も、法然上人の言葉もそのまま取ると違和感を憶えたり、考え込んでしまいますが、先のタモリの言葉にインスパイアされて、リリーフランキーも「前向きという事が正しい事だと誰も疑っていないけれど、それはどうなのかと・・・」と言います。
今の世は常にポジティブ思考による「成長」を是とし、それ以外のネガティブとされる「負ける」「あきらめる」「断念する」「引きずる」「暗さ」「わかりにくさ」などは良しとされず、存在さえ時に忌み嫌われたりしますが、果たしてそうなのか。
「断念する事でかえって自由になれる、前に行ける事がある。」
松岡正剛との対談で茂木健一郎は普遍性をめぐる考察の中でそう言いいます。松岡はアインシュタインもハイゼンベルクも、ディラックもみんな制限、限界と言うものを感じていて断念しているといい、「本当にいい仕事と言うのは断念から始まっていますよ。」という。
■ 断念と限界
西洋を規範とする論理構造のひとつがコンピューター的2進法。この二者択一な世界は、かえって問題の本質を遠ざける事は田原総一朗を例に挙げるまでもない。しかも、その選択された方は常にまっすぐ直線的に伸びているイメージを強いてくる。
人類は自然や生命など片方で「多様性」に目覚め、その豊潤でしなやかな世界に魅了されながら、なぜ人間だけはその対極としてのフラット化へ進むのか。その結果、世界の緊張は以前にも増しており、硬直した世界は自滅へと進みやすいのに…。
必要なのは『断念』と『限界の自覚』であって、いずれ人間が断念し限界を自覚した時に、光明が観えてくるのかもしれないと思えるのです。
かつて、笑福亭鶴瓶はタモリに「なんで人の笑いを邪魔するのか」と尋ねたことがあるらしい。これに対し、「お前やさんまは笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると帯番組はマンネリになる。だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう。それがマンネリ解消になる」と答えたという。
やっぱり、『断念』と『限界の自覚』が多様性を生み、豊潤でしなやかさ(長寿)を育むんですね。
by DEPTH-TRUCT
| 2009-05-13 12:12