2009年 06月 08日
怒る・怒らない |
「松永さんて、怒らないね。」
先日、ある女友達に言われたひと言。まあ、確かに日頃から怒る事などほとんどないと言っていいのだけれど、まったく怒らない事はなくて、自分の廻りの人に怒る必要性があまりないだけで、もちろん腹立たしい事は少なからずあったりはしますよ。
■叱る
私としては怒るよりも叱ると言う行為はたまにあります。もう二ヶ月程前になりますが、仕事先の若い所員にあるとても重要な伝言を何度も伝えてあったにも関わらず、彼は上司に報告して、上司が直接対処すると思ってたようです。彼にしてみればなぜ自分が怒られるのかわからなかったでしょう。
問題は、それによって引き起こされる諸問題の重大さもさる事ながら、自分が建築士、建築家としてやるべき事の意味、人としてお客様の信頼に応える事の意味を踏まえ、自分がなぜ怒られているのか、若い彼にはわかって欲しかったのです。
物事の目に見える表層はわかりやすいのですが、その判断をしている内面こそが重要であって、そここそが問題だと認識しています。
先般の構造偽装問題でも、「業界の圧力のせいだ。」と理解してしまうと、いざ自分が同じ立場になった時に、その根拠が”言い訳”になってしまう可能性があります。問題は『建物の安全』という大事なものを”自分の悪しき心”に売ってしまったことなのです。
しかし、じつは私も若い時に「何で私が怒られるんだ!」と思うことがあって、それを理解するのにとても時間が掛かった経験があったのです。私が受けた恩は、後に続いてくれる人に返すのが礼儀です。
*********
ただ、10年程前にも違う人から同じような事を言われました。
「松永さんて、怒らないの?」
あの時、あまりに唐突だったそのひと言。彼女は何か叱って欲しかったのかもしれません。「怒る」ことや「叱る」ことは本当に難しいです。彼女の心のうちには何がしか迷いや苦しみがあったのでしょう。それを上手に聞いてあげられなかったことが、今もその彼女を見るにつけ悔やまれます。
それは、私が物事の本質を掴めず、相手の横に立てなかったから・・・。
なので、いま私自身に様々に考えさせられる事が多いのは、同じ轍を踏まないように人様のため、心地のいい風景を描くために生きなさいと言う事なのだと感じていたりします。
先日の友達も、もう少しフォローが必要かも・・・。
先日、ある女友達に言われたひと言。まあ、確かに日頃から怒る事などほとんどないと言っていいのだけれど、まったく怒らない事はなくて、自分の廻りの人に怒る必要性があまりないだけで、もちろん腹立たしい事は少なからずあったりはしますよ。
■叱る
私としては怒るよりも叱ると言う行為はたまにあります。もう二ヶ月程前になりますが、仕事先の若い所員にあるとても重要な伝言を何度も伝えてあったにも関わらず、彼は上司に報告して、上司が直接対処すると思ってたようです。彼にしてみればなぜ自分が怒られるのかわからなかったでしょう。
問題は、それによって引き起こされる諸問題の重大さもさる事ながら、自分が建築士、建築家としてやるべき事の意味、人としてお客様の信頼に応える事の意味を踏まえ、自分がなぜ怒られているのか、若い彼にはわかって欲しかったのです。
物事の目に見える表層はわかりやすいのですが、その判断をしている内面こそが重要であって、そここそが問題だと認識しています。
先般の構造偽装問題でも、「業界の圧力のせいだ。」と理解してしまうと、いざ自分が同じ立場になった時に、その根拠が”言い訳”になってしまう可能性があります。問題は『建物の安全』という大事なものを”自分の悪しき心”に売ってしまったことなのです。
しかし、じつは私も若い時に「何で私が怒られるんだ!」と思うことがあって、それを理解するのにとても時間が掛かった経験があったのです。私が受けた恩は、後に続いてくれる人に返すのが礼儀です。
*********
ただ、10年程前にも違う人から同じような事を言われました。
「松永さんて、怒らないの?」
あの時、あまりに唐突だったそのひと言。彼女は何か叱って欲しかったのかもしれません。「怒る」ことや「叱る」ことは本当に難しいです。彼女の心のうちには何がしか迷いや苦しみがあったのでしょう。それを上手に聞いてあげられなかったことが、今もその彼女を見るにつけ悔やまれます。
それは、私が物事の本質を掴めず、相手の横に立てなかったから・・・。
なので、いま私自身に様々に考えさせられる事が多いのは、同じ轍を踏まないように人様のため、心地のいい風景を描くために生きなさいと言う事なのだと感じていたりします。
先日の友達も、もう少しフォローが必要かも・・・。
by DEPTH-TRUCT
| 2009-06-08 12:48
| 雑 記