2005年 07月 27日
美しさ |
モノや物事はわたしたちに関係なく世の中に”存在”しています。それらに対し”美しい”などという感情を抱くのはわたしたち人間の心であるのは言うまでもありませんし、その感覚は非常に多義に渡るようです。
ただ、植物など、特に”花”を見ていると、確かにわたしたちはその多くを”美しい”と感じています。
種の絶対的繁栄を考えた時に、空中で受粉する裸子植物から昆虫などを媒体とし、より確実に受粉できるシステムである被子植物に移項して行きますが、その際、昆虫などの目にとまるように”花”を咲かし、”実”付け、ほ乳類などにその実=タネを確実に運んでもらいます。この時に新しい食物連鎖が生まれるのですが、この事がわたしたちが花を見て”美しい”と惹き付けられる最初の動機付けだったのではないかと思います。その意味で自然のモノを”美しい”と感じたり、身近に置きたくなるのはごく自然な事のように思います。
その後、わたしたちは”美しい”という感覚を永い時間を掛けて育んできました。今では鉄やアルミ・ガラスといった無機的なモノにまで”美しさ”を見い出しています。それは内面のキャパシティーが大きくなったと言えるようです。
いま私は”美しい”という言葉の中には相反する二面性を感じる事が多いようです。
・優しさ&厳しさ
・善し&悪し
・秩序&混沌
・反発&受容
・綺麗さ&醜さ・・・etc.
これら相反するモノを内包しつつ尚かつ、清くあろうとする存在を”美しい”と感じているようです。
ハノーバー万博の日本館にはそんな二面性を感じました。外観と内観の優美さとは対照的に、世界でも類を見ない紙パイプによる巨大な構造体を作ると言う試練=厳しさを持ってして、その存在の明解な”清さ”を発散している。だから”美しい”と感じているのです。
ただ、植物など、特に”花”を見ていると、確かにわたしたちはその多くを”美しい”と感じています。
種の絶対的繁栄を考えた時に、空中で受粉する裸子植物から昆虫などを媒体とし、より確実に受粉できるシステムである被子植物に移項して行きますが、その際、昆虫などの目にとまるように”花”を咲かし、”実”付け、ほ乳類などにその実=タネを確実に運んでもらいます。この時に新しい食物連鎖が生まれるのですが、この事がわたしたちが花を見て”美しい”と惹き付けられる最初の動機付けだったのではないかと思います。その意味で自然のモノを”美しい”と感じたり、身近に置きたくなるのはごく自然な事のように思います。
その後、わたしたちは”美しい”という感覚を永い時間を掛けて育んできました。今では鉄やアルミ・ガラスといった無機的なモノにまで”美しさ”を見い出しています。それは内面のキャパシティーが大きくなったと言えるようです。
いま私は”美しい”という言葉の中には相反する二面性を感じる事が多いようです。
・優しさ&厳しさ
・善し&悪し
・秩序&混沌
・反発&受容
・綺麗さ&醜さ・・・etc.
これら相反するモノを内包しつつ尚かつ、清くあろうとする存在を”美しい”と感じているようです。
ハノーバー万博の日本館にはそんな二面性を感じました。外観と内観の優美さとは対照的に、世界でも類を見ない紙パイプによる巨大な構造体を作ると言う試練=厳しさを持ってして、その存在の明解な”清さ”を発散している。だから”美しい”と感じているのです。
by DEPTH-TRUCT
| 2005-07-27 22:07
| 建築雑記