2005年 01月 12日
設計士の主体性 |
久しぶりに母校の高校に寄ってきました。卒業してもう25年ぐらい経つのですが、未だに当時の先生がお一人おみえなのと、同級生が先生をしているので今でもお邪魔させてもらえます。
学校は全体には古びていますが、驚くほど変わっていません。まるでタイムスリップしたかの様です。その代わり学校の廻りは逆に驚くほど変わってしまいました。大きな道路が走り、お店が増え、住宅も増えました。
久しぶりでしたので、いろいろと近況報告等しながらもお話を伺っていました。どうも話していると先生方は”設計に作家性や主体性はいらない”としきりにおしゃります。確かに度をこした作家性は迷惑ですが、主体性は必要だと思います。
お客さまが大金をかけて頼む相手が何を考えてるのか判らないままで、安心して頼めるでしょうか?・・・恐らく無理だと思います。全ての事はコミュニケーションの中で行われると言っても良いと思います。特に建物、住まいを創るとなるとまさにその繰り返しです。設計士が何を想い、感じ、創るのか。お客さまは知りたいはずです。判らない事は専門的知識で答えてほしいはずです。
かく言う私も、いままで余りに語らなさ過ぎたと反省しながら、ここを立ち上げました。私が何を想い、考え、感じているのか。その先にこそ、一緒に創り上げていくスタートラインがあるはずですから。
学校は全体には古びていますが、驚くほど変わっていません。まるでタイムスリップしたかの様です。その代わり学校の廻りは逆に驚くほど変わってしまいました。大きな道路が走り、お店が増え、住宅も増えました。
久しぶりでしたので、いろいろと近況報告等しながらもお話を伺っていました。どうも話していると先生方は”設計に作家性や主体性はいらない”としきりにおしゃります。確かに度をこした作家性は迷惑ですが、主体性は必要だと思います。
お客さまが大金をかけて頼む相手が何を考えてるのか判らないままで、安心して頼めるでしょうか?・・・恐らく無理だと思います。全ての事はコミュニケーションの中で行われると言っても良いと思います。特に建物、住まいを創るとなるとまさにその繰り返しです。設計士が何を想い、感じ、創るのか。お客さまは知りたいはずです。判らない事は専門的知識で答えてほしいはずです。
かく言う私も、いままで余りに語らなさ過ぎたと反省しながら、ここを立ち上げました。私が何を想い、考え、感じているのか。その先にこそ、一緒に創り上げていくスタートラインがあるはずですから。
by DEPTH-TRUCT
| 2005-01-12 16:46
| 建築雑記