2006年 10月 18日
命の誕生 |
高田&向井夫妻の”代理出産”による子供の出生届問題や、妻の実母による”代理出産”とここの所、命の誕生に対して考えさせられています。
どうも世論は”代理出産容認”へ舵を切っているように見えますが、日本産科婦人科学会は”代理出産”を以下の理由で禁止しているようです。
********************
1)生まれてくる子の福祉を最優先すべき。
2)代理出産する女性に身体的危険性、精神的負担を与える。
3)家族関係を複雑にし、社会秩序に無用の混乱をもたらす。
4)代理出産契約を社会全体が許容しているとは認められない。
********************
確かに、身体的危険性は今日もニュースで報じられた通りです。先の二つのニュースも共に卵巣を摘出しなければならず、それでも子供が欲しかった故のギリギリの選択だったのでしょう。愛しあう二人の子供が欲しいと言うのは、極々自然と言え、その意味では画期的な出来事です。
ただ、誤解を恐れず言えば、何となく”違和感”を憶えます・・・。
■”不安感”と”苦しさ”〜コンセンサス無き大海へ
やはり問題は生まれた子供達の環境のように感じます。確かにまだまだ社会的コンセンサスが希薄なため、成長過程で「心無い中傷」などによりトラウマを抱えやすいのではないでしょうか。
過去から未来へ続く自分のアイデェンティティーが『特殊な形』と知らされた時のフォローを上手にする必要がありそうです。命の誕生は根源的であるが故に、それを上手く受入れられなかった時、”過去から未来へ続く自分のアイデェンティティー”を自ら断ち切ってしまう可能性があり、精神的影響(人格障害など)が大きくなりそうです。しかも、上記の3、4も拍車をかけるでしょう。それは本人にとって、廻りの想像を絶する”不安感”と”苦しさ”を与えそうです。
■不自然さ
私のように愛する伴侶も子供もいない者からすれば、その違和感は”不自然さ”を伴っています。私一人では子供はつくれません。どんなにお腹が大きくても無理です。しかも私は子供の産めない男です。
それでも子供が欲しいとなれば・・・
1)第三者から卵子の提供を受ける。
2)代理出産を頼む。
となりますが、それはあまりに”不自然”です。人間の欲求はどこまで認められるのでしょうか。あるいは認めても良いのでしょうか。はたまた、誰がそれを決めるのでしょうか・・・
■愛に飢えてる子供達
様々な問いを投げかけ、何となく不自然さを感じさせつつも子供を欲しがる夫婦もいれば、片方では多くの子供達が心無い親からの自分勝手な虐待を受け、生きる事さえできずにいます。
こうした子供達に”愛”を注ぐこと、親になることは何故か自然に思えます。それは、急激な離婚率と再婚率の増加によって、”血は繋がらないけど親子”という新たな関係を問いかけられて、より身近に、リアルになったように思います。
確かに自分の血は残せませんが、”養子”というのは人間の叡智のように感じるのは私だけでしょうか。
どうも世論は”代理出産容認”へ舵を切っているように見えますが、日本産科婦人科学会は”代理出産”を以下の理由で禁止しているようです。
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1)生まれてくる子の福祉を最優先すべき。
2)代理出産する女性に身体的危険性、精神的負担を与える。
3)家族関係を複雑にし、社会秩序に無用の混乱をもたらす。
4)代理出産契約を社会全体が許容しているとは認められない。
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確かに、身体的危険性は今日もニュースで報じられた通りです。先の二つのニュースも共に卵巣を摘出しなければならず、それでも子供が欲しかった故のギリギリの選択だったのでしょう。愛しあう二人の子供が欲しいと言うのは、極々自然と言え、その意味では画期的な出来事です。
ただ、誤解を恐れず言えば、何となく”違和感”を憶えます・・・。
■”不安感”と”苦しさ”〜コンセンサス無き大海へ
やはり問題は生まれた子供達の環境のように感じます。確かにまだまだ社会的コンセンサスが希薄なため、成長過程で「心無い中傷」などによりトラウマを抱えやすいのではないでしょうか。
過去から未来へ続く自分のアイデェンティティーが『特殊な形』と知らされた時のフォローを上手にする必要がありそうです。命の誕生は根源的であるが故に、それを上手く受入れられなかった時、”過去から未来へ続く自分のアイデェンティティー”を自ら断ち切ってしまう可能性があり、精神的影響(人格障害など)が大きくなりそうです。しかも、上記の3、4も拍車をかけるでしょう。それは本人にとって、廻りの想像を絶する”不安感”と”苦しさ”を与えそうです。
■不自然さ
私のように愛する伴侶も子供もいない者からすれば、その違和感は”不自然さ”を伴っています。私一人では子供はつくれません。どんなにお腹が大きくても無理です。しかも私は子供の産めない男です。
それでも子供が欲しいとなれば・・・
1)第三者から卵子の提供を受ける。
2)代理出産を頼む。
となりますが、それはあまりに”不自然”です。人間の欲求はどこまで認められるのでしょうか。あるいは認めても良いのでしょうか。はたまた、誰がそれを決めるのでしょうか・・・
■愛に飢えてる子供達
様々な問いを投げかけ、何となく不自然さを感じさせつつも子供を欲しがる夫婦もいれば、片方では多くの子供達が心無い親からの自分勝手な虐待を受け、生きる事さえできずにいます。
こうした子供達に”愛”を注ぐこと、親になることは何故か自然に思えます。それは、急激な離婚率と再婚率の増加によって、”血は繋がらないけど親子”という新たな関係を問いかけられて、より身近に、リアルになったように思います。
確かに自分の血は残せませんが、”養子”というのは人間の叡智のように感じるのは私だけでしょうか。
by DEPTH-TRUCT
| 2006-10-18 01:39
| 雑 記