2007年 01月 15日
散策〜城山八幡辺り |
ここのところ、お客様との打合せは桜通りのスタバ。毎回一番奥のゆったりソファーを陣取る。まあ、打合せと言うより”雑談”が非常に多い・・・いや、雑談ばかりと言ってもいい。多話いもない話から時事問題、そして心のお話などなど・・・貴重な時間です。
昨日はその後、もう一軒御一緒させていただき、本当は東山の植物園でも散策しようかと思ったのですが、時間が遅くなったので、千種区の城山八幡宮辺りを散策してきました。
ここは天文16年(1547)、信長の父である織田信秀が築いた城、末盛城跡に建立された八幡宮です。そのため広小路側に小さなお堀跡が見られ、お城の痕跡を残し、興味深いです。
***********
城址は標高43メートル、東西約200メートル、南北約160メートル。二重堀をめぐらし複雑な遺構をなし、室町時代末期における平山城の城址として、殆ど原形に近い姿を伝えている。
***********
と記述されていますが、実際にその他の痕跡を探すのが難しいのは、1558年に城主 織田信行(信長の弟)が、兄・信長に呼び出され清洲城内で亡くなり廃城となったため、築城僅か11年という短命のお城だったからかもしれません。
また、八幡宮の西北にある縁結びの連理木(れんりぼく)脇に、「右五百らかん」の小さな石塔があって、ここからその大龍寺へ向かう山の頂きの道はなかなか気持ち良く、こんな素敵なところで、こじんまりした平家の家でも創ってみたいと思ってしまいます。
この八幡宮の北一帯には多くの古寺があり、”やすらぎの道”とも云われているそうです。昨日お邪魔した中では、大きな山門を構える「相応寺」が”山寺”(プチですが…)の趣を感じさせてなかなかgoodです。
またひとつ、心地のいい風景を見つけた感じです。
城山八幡宮←公式HPへGO!
愛知県名古屋市千種区城山町2-88
昨日はその後、もう一軒御一緒させていただき、本当は東山の植物園でも散策しようかと思ったのですが、時間が遅くなったので、千種区の城山八幡宮辺りを散策してきました。
ここは天文16年(1547)、信長の父である織田信秀が築いた城、末盛城跡に建立された八幡宮です。そのため広小路側に小さなお堀跡が見られ、お城の痕跡を残し、興味深いです。
***********
城址は標高43メートル、東西約200メートル、南北約160メートル。二重堀をめぐらし複雑な遺構をなし、室町時代末期における平山城の城址として、殆ど原形に近い姿を伝えている。
***********
と記述されていますが、実際にその他の痕跡を探すのが難しいのは、1558年に城主 織田信行(信長の弟)が、兄・信長に呼び出され清洲城内で亡くなり廃城となったため、築城僅か11年という短命のお城だったからかもしれません。
また、八幡宮の西北にある縁結びの連理木(れんりぼく)脇に、「右五百らかん」の小さな石塔があって、ここからその大龍寺へ向かう山の頂きの道はなかなか気持ち良く、こんな素敵なところで、こじんまりした平家の家でも創ってみたいと思ってしまいます。
この八幡宮の北一帯には多くの古寺があり、”やすらぎの道”とも云われているそうです。昨日お邪魔した中では、大きな山門を構える「相応寺」が”山寺”(プチですが…)の趣を感じさせてなかなかgoodです。
またひとつ、心地のいい風景を見つけた感じです。
城山八幡宮←公式HPへGO!
愛知県名古屋市千種区城山町2-88
by DEPTH-TRUCT
| 2007-01-15 19:58
| 雑 記