2007年 01月 24日
リアルなやさしさ |
『それでも、罪は償わなければいけません。』
先日の大阪・八尾市で起こった歩道橋から3歳児を投げ落とした41歳のチャレンジド(障害者)の事件は、健常者と、チャレンジド(障害者)に関わる人々に大きな衝撃を与えました。
一般の意見の中には”隔離”を唱える声も大きいように感じます。ただ、チャレンジドの人達は廻りの影響を特に強く受けるように思っています。それは、まるで”永遠の子供”のようなもの。力で押さえても、いずれ体力的には大きくなって、押さえられなくなります。そう、力だけでは・・・無理だと思います。
誰もが予備軍である認知症は、患者とのコミュニケーションが計れるバリデーション法などが開発され、今後はかなり受入れられていく事が予想されますが、チャレンジドへの理解は身近にさほどいないためもあってか、遅々として進まないかもしれません。
バリデーション法は「認知症になっても心はある」ことを前提としているそうですが、それと同じ事がチャレンジドの方々にも言えると思います。彼等にも心がある事を知り、上手くコミュニケーションを計ることで、彼等のストレスを少なくする方法を皆が共有する事こそが、”隔離”よりも本来必要であるように感じます。
チャレンジドの事件も、簡単に犯罪を事も無げに犯す若者達も、そういう嗜好をばらまく同じ社会にいると言う意味で、我々もその責任の一端を担いでいるという認識が必要だと思います。
「尊厳(生きている事)に対する共感力(=リアルなやさしさ)」
そのベクトルは”犯罪を事も無げに犯す若者達”を未然に救い上げる方法でもあるようにも思うのです。
”リアルなやさしさ”に溢れた時、心地のいい風景は私達の前に、本来の姿を観せてくれるのかもしれません。
先日の大阪・八尾市で起こった歩道橋から3歳児を投げ落とした41歳のチャレンジド(障害者)の事件は、健常者と、チャレンジド(障害者)に関わる人々に大きな衝撃を与えました。
一般の意見の中には”隔離”を唱える声も大きいように感じます。ただ、チャレンジドの人達は廻りの影響を特に強く受けるように思っています。それは、まるで”永遠の子供”のようなもの。力で押さえても、いずれ体力的には大きくなって、押さえられなくなります。そう、力だけでは・・・無理だと思います。
誰もが予備軍である認知症は、患者とのコミュニケーションが計れるバリデーション法などが開発され、今後はかなり受入れられていく事が予想されますが、チャレンジドへの理解は身近にさほどいないためもあってか、遅々として進まないかもしれません。
バリデーション法は「認知症になっても心はある」ことを前提としているそうですが、それと同じ事がチャレンジドの方々にも言えると思います。彼等にも心がある事を知り、上手くコミュニケーションを計ることで、彼等のストレスを少なくする方法を皆が共有する事こそが、”隔離”よりも本来必要であるように感じます。
チャレンジドの事件も、簡単に犯罪を事も無げに犯す若者達も、そういう嗜好をばらまく同じ社会にいると言う意味で、我々もその責任の一端を担いでいるという認識が必要だと思います。
「尊厳(生きている事)に対する共感力(=リアルなやさしさ)」
そのベクトルは”犯罪を事も無げに犯す若者達”を未然に救い上げる方法でもあるようにも思うのです。
”リアルなやさしさ”に溢れた時、心地のいい風景は私達の前に、本来の姿を観せてくれるのかもしれません。
by DEPTH-TRUCT
| 2007-01-24 12:45
| 雑 記