2006年 09月 27日
声音(こわね) |
声音(こわね) 2006-09-27 23:23
「音楽は正直で、演奏する人がいかに生きているかまで、
まるごと表れる。」
---アン・サリー(雑誌:アエラ06/9/25より)
恐らく人が言語を持つ前からコミュニケーションの手段として”抑揚する声”はあったはず。人に近い猿やチンパンジーを見ていると自然にそう思えます。
例えば命令調の強い口調で「ありがとう」や「美しい」などと言ってもしっくりきませんし、逆にものすごく穏やかな口調で切羽詰まった台詞を吐いても、その意味はなかなか伝わりません。それは言葉そのものが抑揚(リズム、強弱、音階)を持ち、まるで「歌」そのものであるかのようです。
しかも言葉と同じくらい、あるいは、それ以上にその抑揚(リズム、強弱、音階)に意味があるのではないか?つまり、言葉以前にあるもの、自らの内部から沸き上がる声、”発したい何か”こそが最も根源的なものであり、その最たるものが「歌」なのではないかと考えます。
地球上のどの民族にも”歌”は存在し、生活の隅々にまで、あるいは祭りに、宗教的な儀式にも・・・「人は何故歌うのか?」と問う前に、私たちは”歌”そのものの中に、その生を浮かべていると言えるのではないでしょうか。
『人は歌いつづけ、そして、聴きつづける。』
ここにリンクしています西みほさんの歌は”生を浮かべられる歌”
”歌うままに、聴くままに”・・・
皆さんと共に生を浮かべてまいりましょう。
「音楽は正直で、演奏する人がいかに生きているかまで、
まるごと表れる。」
---アン・サリー(雑誌:アエラ06/9/25より)
恐らく人が言語を持つ前からコミュニケーションの手段として”抑揚する声”はあったはず。人に近い猿やチンパンジーを見ていると自然にそう思えます。
例えば命令調の強い口調で「ありがとう」や「美しい」などと言ってもしっくりきませんし、逆にものすごく穏やかな口調で切羽詰まった台詞を吐いても、その意味はなかなか伝わりません。それは言葉そのものが抑揚(リズム、強弱、音階)を持ち、まるで「歌」そのものであるかのようです。
しかも言葉と同じくらい、あるいは、それ以上にその抑揚(リズム、強弱、音階)に意味があるのではないか?つまり、言葉以前にあるもの、自らの内部から沸き上がる声、”発したい何か”こそが最も根源的なものであり、その最たるものが「歌」なのではないかと考えます。
地球上のどの民族にも”歌”は存在し、生活の隅々にまで、あるいは祭りに、宗教的な儀式にも・・・「人は何故歌うのか?」と問う前に、私たちは”歌”そのものの中に、その生を浮かべていると言えるのではないでしょうか。
『人は歌いつづけ、そして、聴きつづける。』
ここにリンクしています西みほさんの歌は”生を浮かべられる歌”
”歌うままに、聴くままに”・・・
皆さんと共に生を浮かべてまいりましょう。
by DEPTH-TRUCT
| 2006-09-27 23:23
| 雑 記