ぶら円頓寺(えんどうじ)-2 |

西区でもこの辺りに特に多いのが「屋根神様」です。家屋の軒先に小さな祠が乗る独特の景観がこの辺りの当たり前の日常でした。町内の厄よけと火難除けのため、戦前は市内で千社を超えて、古い木造の長屋(木造棟割町家)の地域に多く分布していたそうです。
「カンショの入口や奥にはヤネガミサンがあり、毎月一日と十五日に町内でお酒や洗米、塩、果物などをお供えし、提灯をともし、夕方には路地でかがり火を焚く、供物のおさがりは町内で分けたり、近所の子供達に配ったりした。」
(蔵書「季刊・自然と文化」1987-17夏季号、
「名古屋の路地空間」岡本信也著より抜粋)
都市化のあおりを受けて ここ最近はめっきり少なくなり、それとともに路地から子供達の声、井戸端会議、夕涼みなどなど様々な営みが姿を消しましたが、今もこの町で新しい町の動きを見守っているに違いありません。
■四間道
堀川には水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ねて繁栄してたのですが、元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまい、商家の焼失を避けるために堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張したことから四間道(しけみち)といわれるようになったそうです。
今にちでは、名古屋中心部でめずらしく蔵の立ち並ぶエリアとして人気のスポット。この日も絵画教室の方々が絵筆を走らせていました。
■浅間神社
四間道の南に目をやると、大勢の方が何やら案内を受けていました。聞けば、還暦を過ぎたであろうその方々は、明和高校のOB&OGで毎月こうして勉強会を開いているといいます。ナント熱心な!
因に、建立は正保4年(1647)年。とっても狭い境内には建立当初からのものとされる 立派な古木が7本ほど残っていて、 ここだけ別世界のようです。

■かぶと
何の変哲もない民家にしか見えないお宅。でも、お隣さん曰く「創作日本料理のお店で完全予約制、お客もタクシーで来てタクシーで帰って行く。」そうです。宝くじでも当たったら行こうかな。(笑)
■月のののうさ
けっこう有名なお店。でも尋ねるのは初めてでした。以前にも探してはいたのだけれど・・・。中庭もあっていい感じの雰囲気だけど、どこか緊張感があるのはなぜ?その中庭で唐突に高野槙の苗木が売ってたな???
■四間道レストラン&ギャラリー
最近出来たお店。この辺りでも最も古い約270年前の蔵を改装しているのだとか。ちょうどお昼の休憩時間だったので、次回は一度見てみたいお店です。
ちょうど、大ナゴヤ大学の11月授業の会場にもなるようです。
「四間道レストラン」
http://www.shikemichi.jp/
「名駅経済新聞」
http://meieki.keizai.biz/headline/1201/
■Cafe de SaRa
少々歩き疲れたので、ここらで休憩。ここは古い木造棟割町家を改装したカフェ。四間道辺りの改装系では古い方だと思います。私も何度かお邪魔してて、私的には道端の席がお気に入り。コーヒーに付いて来たチョコレートが美味しい。
と、ここで大ナゴ大のTさん登場!
■松原理容
Tさんがちょっと気になるレトロな床屋があると言うので早速みんなで探検に!

因にTさん曰く、『永く続くお店のポイントは”清潔”なこと!』なのだそうです。まさにぴったり!!
気の優しい店主にお聞きしたら昭和元年に建てたらしく、今年で築85年!先程のガラスのファサード(建物前面)は昭和30年代中頃に改装したものの、大理石の洗面台や鏡廻りの装飾など随所に面影を残しています。

■資生堂パーラー?


最後に、五条橋を東に渡って洋館のような古いとんがり屋根のお店(だった建物)を見学。「資生堂」という看板とパーラーという文字が。
後日、株式会社資生堂パーラーにお聞きすると・・・
『以前、私共と関係のないお店が「資生堂パーラー」を名乗っていた事は存じております。』
なるほど、そう言う事でしたか。確かに私も一度入ってみたかったお店でした。
その昔、銀座本店は黄土色のタイルを張っていたそうですが、ここのタイルもそんな雰囲気を真似てたんでしょうね。
他にも、懐かしい看板やきれいな家型も。


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とまあ、やや満腹状態の「ぶら円頓寺」。でも、「次は『ブラ大門(中村区にある商店街)』しましょうよ」とTさん。・・・その話し、乗った!!(笑)